小学校現場で奮闘している広島の教師が、目ざす子どもの姿の実現のために「いい授業をしたい」「楽しい学校生活を提供したい」と集って学び合っています。


原爆の日

今年もまた、原爆の日を迎えました。

テレビや新聞、広島の街は、「平和」の文字が溢れています。

 

人事権限の県から市への移譲に伴い、広島市は原爆の日の登校日が叶わなかったのは残念でした。

なぜなら、原爆の日だからこその、子どもたちの心に沁みる取組が必要であると思うからです。

教育にはこの件に限らず「タイミング」に大きな意味があります。

この時だからこそ、情報を共有し、友と共に考え、その考えを深め合う教育効果の大きいことは、何も平和教育に限ったことではありません。

 

また、平和教育の基底には人権尊重の理念があり、全教育活動を通して行うものであるといった平和教育について私の考えは、例会でよく話していることでもあります。       

以下は、自著「心を育てる美術教育」渓水社 よりの抜粋ですが、原爆の日を機会に、改めて発信します。

 

 

ー平和教育においてつけたい力ー

 ・    原爆の被害やその実態を理解することができる。

 ・    すべての学力を身につけ、歴史における戦争の科学的認識が正しくできる。

 ・    世界平和の実現に向けて平和の大切さを発信することができる。

 ・  日常の生活のすべてにおいて、心やさしくだれとでも仲よくできる実践力を身につけることが      できる。

 ・  ボランティア活動に勤しむことができる。

 

 そして、「平和を語るに値する日々の生活か」を問うことを前提としている。

 「平和を語るに値する日々の生活」とは、身の回りすべての人の人権を尊び、誰に対してもやさしく接し、人に流されることなく自分の考えをしっかり持って、健康でよりよい生活をめざし、何事にもまじめに取り組む態度のことである。

 決して「平和」を観念的にとらえるのではなく、唱えるだけに終わることなく、「平和を語るに値する日々の生活か」を視点として自らに厳しく問う子らであってほしいと願うものだ。

 そして最終的に目ざす子どもの姿としては、人のために働くボランティア活動に汗する姿におきたい。己を抑えて人のために行動できる人ばかりが集まる中では、争い事はなく、平和の実現が可能となるであろうと考えるからである。 

 

 私の願い

 本川小学校退任の時に子どもたちに贈った次の詩は、私の平和教育に対する思いと願いそのままである。

 

   

  願い

                        奥原 球喜

                      

  教室の窓から望む 

  原爆ドームが語りかけています

 

  子どもたちよ

  君のそばの友達を見てごらん

 

  いつもニコニコ顔ですか

  「なかよしことば」があふれていますか

  しっかり手をつないでいますか

  その手は暖かですか

  つなぐ手の輪は 大きくなっていますか

 

  子どもたちよ

  君のそばの友達を見てごらん

 

  寂しさに うつむいていませんか

  悲しさに 背をかがめてはいませんか

  悔しさに 肩をふるわせてはいませんか

  「いじわることば」が聞こえませんか

 

  そして、君はどうしていますか

 

  子どもたちよ

  知っていてほしい

  私の心を語ることができるのは

  誰とも手をつなぎ

  誰とも楽しく話し

  誰にでも力を貸すことのできる人

  人のために働くことのできる人

 

  そんな君たちならば

 

  私の思いを伝えてほしい

  「本川の窓」から

  世界へ

  世界へ