小学校現場で奮闘している広島の教師が、目ざす子どもの姿の実現のために「いい授業をしたい」「楽しい学校生活を提供したい」と集って学び合っています。


指導力アップを支える仕組みづくり

前回の「学級担任制から学年担任制への転換を」に対して、次のようなコメントをいただきました。

専科にしたところで、根本は変わらない。
力量がない教員が授業をすれば、荒れる。

逃げずに、教員の力量をあげることを考えるべき。
貴重なご意見、ありがとうございました。反論していただけることはうれしいことです。より論を重ねることできるからです。
学級崩壊に対する一番の対応策として必要なことは、ご意見の通り、個々の教員の授業力(教師力に含む)を上げることだと思っています。だからこそ「創」が生まれ、ここに今の活動があるのですから。
しかし、それだけでは「目ざす子どもの姿」を実現できないのです。現に、多くの学校で存在する崩壊学級等の実態を考える時、それらの課題に合った学校体制づくりは不可欠なのです。
「力量のない教員が授業をすれば、荒れる」とご指摘された、力不足の教員も含めた学校全体の力量を、どのようにして上げていくかということを考えなければ、学校が学校として機能しなくなるのです。
私たちは、「友と手を結んで知恵を出し合い、助け合いながら進もう」と、子どもたちに求めます。それはそのまま、学校内の教員集団が目ざすべき姿であると思うのです。
そうあるための、学校の仕組みづくりにむけた一つの提言でした。
繰り返しますが、学校を支える根底には、一人一人の教員の「指導力を高めたい」という意欲と実践力向上にあります。だからこそ、忙しい中で集い学び合う会員の研鑽ぶりが、一層まぶしく思えます。

学級担任制から学年担任制への転換を

 

≪ 学級崩壊への一対応策 ≫ 

 

 学級崩壊が、今日の学校運営上の大きな問題としてあるようになりました。背景には様々な要因があり、対応策も様々求められるところです。

 ここでは、その一つとして、学校としての組織や運営方法に、有効的な改善策の可能性について考えてみます。

 

 学級崩壊は、担任と学級の子どもたちとの人間関係が破綻した状態ですが、その一因として、旧来然とした学級担任制にもあるのではないかと考えるようになりました。

 学校生活のほとんどが学級単位で行われるため、学級担任一人の技量や人間性によって営まれる教育活動によっては、対応しきれない問題が噴出してきているのではないかと思うのです。

 学校には、年配のベテラン教員もいれば、経験のない新任教員もいます。個々の指導力も様々です。それを皆横並びに学級担任として振り分け、同じ質と量の仕事と責任を負わされることに、そもそもの問題があるように思います。

 すでに、教員全員が一つのクラスを一人で背負える時代ではなくなったと認識しなければならないのではないかと思えます。

 

 そこで、学級崩壊の学級を出さない方策として、一つの学級に一人の学級担任が就くといった考え方から、一つの学年に学級数分の人数の学年担任(可能なら、プラス一名)が就くという意識への転換を図ってはどうだろうかと考えます。学年単学級学校にあっては、低・中・高学年等でグループを組みます。

 この方法の概要は次のようなものです。

  • 学級の枠はこれまで同様にあり、児童の世話や管理も一人の担任が行います。(従来の学級の形を残す)
  • 授業は、できるだけ学年内で専科的交換授業を組んで、どの教員も学年内の複数学級で授業を行います。(特に、音楽・図工・体育等は交換しやすい。国語では、書写や図書等の領域によって分担しやすいでしょう。)
  • 専科教員も学年担任枠に入ります。(交換授業は学年を超えることも可とすしま

   す。)

  • 担任学級を持たない教員一名(教員数確保可能範囲で、できるだけ高学年からこれに充てる)は、授業の他、学年公務や雑務を担任より多く受け持つようにします。
  • 学年合同授業もできるだけ組み入れます。
  • 帯タイム等の学習は、クラスを順に入れ替わって指導するのも面白いでしょう。
  • 教師間の連携が不可欠なので、話し合い等の時間の確保に工夫が必要です。
  • 担当科目数が減る分、教材研究時間の節約が期待できます。

 この方法を採ることによって、学級の枠が外され、学年の担任が学年内全児童の担任という意識で個々の子どもを見ることができるようになります。課題のある児童も、学年全体で受け持つこととなり、多面的、客観的な対応ができます。何より、子どもを中心にした教師間の会話が増え、協働意識が芽生え、「共に育てる」心強さが自信へとつながることが期待できます。

 また、このような教員の団結は児童の心の解放、学習意欲や仲間意識の向上等につながり、主体的・創造的な教育活動にも効果的に作用するだろうと思います。

 更に、手を結ばなければ進まないこの方法によって、機能する組織の一員として動こうという教職員の意識の変容が見られるようになり、学校運営全般に波及することが期待できます。

 

 学級担任制を残しつつ、学年担任的要素を組み入れるこの方法は、学級崩壊という負の状態への対応策としてのみならず、学校を創るうえでの主体的、積極的方策の一つとして有効であると考えています。

 

 

     

本年度の総括と来年度の目標

 

 

 あわただしく学年末の日々が過ぎています。

 「やらなければならないこと」「済ませなければならないこと」にただただ追われていつしか「こんな力を身につけさせたい」「こんな子どもの姿に近づかせたい」という年度当初思いめぐらせて決めた、あるいは途中の節々で確認した「目標」や「目ざす子ども像」が、頭から吹っ飛んでいるということは、少なくありません。

 

 忙しい中でもふと立ち止まって、「目標に近づいた点」「及ばなかった点」を挙げて、その要因と思われることに思いを巡らせてメモしておきましょう。

 そして、時間を見つけて文章化しましょう。書くことによって、客観的に実践の足跡を見つめ、整理することができます。このことが、次の成長につながります。

 

 次の「創」では、実りある教育実践を目ざして、本年度の総括と来年度の目標づくりを行いましょう。

もっとこの子たちと共にいたい

年度初めの子どもたちとの出会いから一年を終えようとしている今、学級の子どもたちは友達や担任との付き合い方にも慣れて、一番落ち着いた時期に入っているころだと思います。

お互いを知り合うまでの年度当初のような学級内のトラブルや不満、葛藤を抱えることが少なくなったからでしょう

担任にとっても、これまであの手この手で子どもたちに伝えてきたことがやっと浸透し、教師の願う子ども像に近づこうと努力している姿が一層かわいく感じられて、「続けてもう一年この子たちの担任をしたい。手放すのは寂しい。」という思いに浸る自分に気付くことも少なくないことでしょう。

 

一方、「がんばったけど、子どもや保護者とどうもうまくいかない一年だった。もう一カ月半何とかしのごう」と、最後の力を振り絞って教壇に立っている人もあるかもしれません。

 

かつて、担任は異動や特別の事情がない限り、2年同じ子どもたちを持ち上がるのが普通でした。2年間という時間をにらんでじっくりと子どもたちに向き合うことができるよさがありました。

 

しかし今、クラス運営に破綻をきたしているいわゆる崩壊学級は、年々増え続けています。

「創」のメンバーは、そうならないように、それ以上の効果を創出できる教師力を高めようと、日々研さんに励んでいるところです。

 

長く続けてきました学級担任制も、時代に呼応した方法を見つけなければならない時に来ているのではないかと思い続けています。

 

 

 

どんな子どもを目ざしているのか

「教育の役割」ということから話す研修の機会をいただきました。

当然教育は、子どもたちのよりよい人格形成にかかわるものでなければなりません。

 

そして、教師のタイプとして、主に教え込みや鍛える方法をとる教師と、子どもたちが自ら学びたいと思えるような興味や関心を引き出し、活動に向かうようにする方法に軸を置く教師に大きく分かれていることを、改めて考えました。

 

「児童の主体性を育み自立に向かう力を!」「生きる力を!」「アクティブに!」と、いつの時代も主体性を求められてきました。

しかし学校現場では、子どもたちが主体的に物事を考えたり行動したりできない教えこみの方法が、依然として幅を占めている実態があります。

 

これら方法の違いの基盤として、「子ども観」「教育観」の違いがあります。

 

主に教えこみや訓練で子どもの力を伸ばそうとする教育観を持つ人は、「子どもは何も知らない、未熟な存在である。」という子ども観です。

一方、児童の考える場を大事にし、自らが学ぼうとする姿勢づくりに腐心する人の子ども観は、「子どもは本来皆、有能な力や向上心を持っている。」です。

 

これらの相反する子ども観、指導観は、おのずと指導方法の違いを生みます。

この違った価値観が混在する学校は、担任が変わる度に教育方法が変わるという子どもにとっては安心できない落ち着かない環境と言わざるを得ませんし、子どもたちの価値観の形成に迷いを生じさせます。

 

今こそ「教育とは」「子どもとは」「目ざす子ども像は」「教育方法は」等の教育実践の基本について、教師が共通にする研修が不可欠だと、改めて痛感しています。

年頭に思うこと

また、新しい年が明けました。

いつの頃からか、新年や誕生日の節目に「もう年はいらない」と、思い続けてきています。それと同時に、その一年一年に流れる時間の早いことといったらありません。

 

しかし、子どもたちに目を向けると、一年間に吸収する知識の量も質も考える力も莫大です。のみならず、友達とのかかわりの中で学ぶ人としての心の成長にも、目を見張るものがあります。

いやいや、一年とは言いません。一カ月あるいは一週間でさえ、「大きくなっている」と感じることがあり、それがまた教師の生きがいでもあり、活力にもなっています。

成長し続ける子どもたちにとって、「時間が速い」などといった感覚はないだろうと思います。

 

年頭に当たって、もう「年はいらない」とは言うまい、子どもの真似は到底できないまでも、年を重ねてよかったと思えることに挑戦する気持ちを持ち続ける努力をしようと思ったところです。

 

本年もまた、仲間と切磋琢磨して教師力アップを目ざし、子どもたちが輝く実践を重ねる「創」でありたいと思います。

みなさん、本年もよろしくお願いいたします。

「教え合う」活動

「アクティブラーニング」の声が大きく聞こえるようになってきました。次期学習指導要領改訂の核となる文言で、「主体的な学び」「対話的な学び」「子ども同士の協働」等の視点からの改善を意図しています。

 

しかし、これらは戦後以来求め続けてきた学びの姿です。また、「創」においても、開設当初から研究の中心においてきた目ざす子どもの姿です。

 

その学びの方法の一つとして、「教え合う」活動があります。共に学び、共に伸びようとする気持ちが、この教え合う姿に表れ、ここにこそ学校の意義があると思います。

 

新任教員指導でかかわっているクラス(2年生)の子どもたちの活動の一コマを紹介します。

 

九九を覚えています。覚えた九九を皆の前ですらすら唱えられたら合格としていますが、どうしても覚えるのが苦手な児童がいます。なかなか合格になりません。

ある休憩時間、4人グループのみんなが輪になって、一つの段の九九を一緒に唱えてはその子が唱えるのを繰り返しています。ある者は一緒に唱えながら書いた九九を見せたり伏せたり、少しずつ伏せるのを増やし、本人が覚えて言い終わったら一緒に大喜びです。そうして、全部の段を覚えて皆の前で唱えることができました。

 

今回は九九でしたが、それが本読みであったり跳び箱であったり・・・と、少しずつ広がって、いろいろな活動に見られるようになってほしい姿です。

 

子ども同士が「教え合う」活動は、共に学ぶという仲間意識を育みます。個々の友達のよさも弱さも強さも知り合えます。

友と一緒に「次はこんな勉強をしたい」という学習意欲もわきます。みんなでわかるようになることを喜びとする広い心が育ちます。

友達の悲しみに心を寄せることができます。だれかがいじめられたら、自分のこととして一緒に解決しようとします。一人ではないから、正義を強く訴えることができます。

 

だから、「教え合う」活動が溢れる学習や学級経営を進めてほしいと、強く願っています。