小学校現場で奮闘している広島の教師が、目ざす子どもの姿の実現のために「いい授業をしたい」「楽しい学校生活を提供したい」と集って学び合っています。


一番困っているのは誰?

 特別に支援の必要な児童

  

 今月の例会は、特別に支援の必要な児童への望ましいかかわり方について、多田先生の話を中心に進めました。

 

 まず、学級で困っている子の実態を皆で挙げてみたら、次のようなことがありました。

  ・ やらなければいけないことができない。

  ・ 提出物を忘れる(わざとではない)。

  ・ 字形がそろわない。漢字が覚えられない。

  ・ 身の回りの整理整頓ができない。

  ・ 同じことを何度も言い、友とのコミュニケーションが取れない。

  ・ 友達ができない。

  ・ 暴言を吐く。

 

対応策として

  パニック状態になった時

   1.クーラーをつけたり自然の風にあたったりして、気持ちを落ち着かせる。 

    (音、光、臭い、触感等にとても敏感、あるいは鈍感である。)  

   2.水を飲ませる。 

   3.落ち着いてきたら、本人が好きなこと(興味のあること)をさせる。

      周りの児童には状況を話しておく。・・・受け入れがスムースにいく。

  

  次の段階として

   ・ 困った状況が続くときは、一人で抱えない。スクールカウンセラーに相談し    たり、療育センター等の公共機関や医療機関につなぐべく管理職や校内委員会    等へ報告・相談したりする。

   ・ 保護者にねぎらいの言葉をかける。(家でうまくいったことがあれば教えて    くださいね。いいところがいっぱいあるから一緒に伸ばしましょうね。・・)

   ・ 保護者へのねぎらいと共に、奮闘している担任へのねぎらいの言葉があると    該当の担任は元気が出る。共に育てる同僚でありたい。

    

  一番困っているのは、当該児童であることを心に刻んで愛情をもって対応しよう。

 

 

会員の感想より

※ 多田先生のお話を聞いて、困り感は担任も保護者も一緒に持っていて、保護者に対 してねぎらいの言葉が必要なのだと思いました。早速次に連絡を取る時に、気持ちを 伝えてみようと思います。

 

※ 生徒指導対応(方法)の面で、個別の支援や配慮についてよく話題になりますが、 同時に、授業の中でそれがなされているかどうかを考える機会になりました。画一的 な授業ではなく、子どもの思考にあるでこぼこ感を一緒に楽しめるように、授業づく りを見直していきたいと思いました。

  飛び出る子も楽しいから学ぼうとし、みんなで学べる学級や学年をつくれるように 挑戦します。

 

 

後半は、いつものようにグループ研究を進めました。

  本年度は、「道徳」「算数」「国語」「図画工作」の4グループで取り組んでいま す。

  それぞれ、教科の基本的な考え方について議論したり、指導案を通して授業研究し たりしました。「図画工作」では、秋に庄原の備北丘陵公園で行う「造形を楽しむ  会」(仮称)の素案作りをしました。

  回を重ねる毎に、どのグループも内容を深めていきたいと考えています。

 

 

 

    

 

学習規律

新しい年度が始まりました。

4月の「創」では、新学年が始まる前に確認しておきたい「学習規律」をテーマとして米升先生の指導の元で、学び合いました。

 

今年度は、これまで以上に会員の生の声を聞きながら、テーマに沿って一緒に学びを深めていきたいと考えています。

 

 

学習規律は誰のために必要なのか(討論しながら考えたこと)

・ 教師の意識の底に「外からの見た目を気にする規律」「学級崩壊しないための規  律」「教師の都合のいい(管理しやすい)規律」がありはしないだろうか?

  そうではなく、子どもの自身のための規律、つまり子どもの将来につながる力とな るものでなければならないだろう。

  そんな規律を身につけさせるためには、一つ一つのきまりの中身について「なぜそ うしなければならないのか?」「なぜそれがいけないことなのか?」等を考え、話し 合い、納得するようにすることが必要である。

 

・ 身につけさせたい規律は、子どものいい姿から学び合うことが大切である。

 それがなぜいいのかを価値づけることも必要である。

  たとえば、「うなずきながら聞いている子」をほめる。話している方はしっかり聞 いてもらえていると感じてとても気持ちがいいと気づかせる。等

 

 

米升先生のまとめの話

・ あたたかい学級風土につながる学習規律を定着させたい。

・ 規律として示すのは必要最小限にとどめる。

・ すべての規律のベースは「聞く」にある。これを一番に考えて取り組む。

・ 「静かに、心を向けてあたたかく聞く」ーすべての教師が実施したい。

・ 発達障害を持つ子(上手に聞けない)がいるかもしれないと心に置いておく。

・ 子どもらしい姿が返せる範囲で身につけさせるようにする。

・ 「聞く」態度を身につけるためには、聞かざるを得ない状況をつくる。

・ 一人一人を大事にした規律を身につけさせてほしいし、教師はいつも謙虚であって ほしい。

・ 学び合うためには、話しやすい雰囲気で「話す」力も大事である。

・ また、分からないことは「教えて!」と言え、教え合うことも大事にしたい。

・ 納得から入る学習規律を心がけ、納得したきまりを増やそう。

 

 

会員の感想より

* 米升先生の「子どもらしく学ぶ」という言葉が印象に残りました。大人が教えす  ぎると、形ばかり気にする子どもになる。形から入らず、意義や意味を共有していく ことが大切だと分かりました。

  子どもの困り感から学習規律をスタートしていきたいと思います。

 

* 何のためのきまりかという必要感や価値づけを、子どもたちが納得した上で提示  し、徹底することが大事だと再認識しました。

  実際の授業で、今日教えていただいた ①聞く ②話す ③教え合う の大切なと ころを子どもたちと確認して進めようと思います。

 

 

 学習規律についてのこの学びが、各学級できっと生かされていることと思います。

次回での報告が楽しみです。

 

いじめ問題と話し合い活動

昨年7月、遺書のような手紙を残して死亡した女子中学生の問題について、第三者組織「市いじめ防止対策推進審議会」からいじめの実態が報告されました。

その中の「いじめは、小学校低学年のころから・・・」という文字が、彼女の長く深い苦しみを語っていて、小学校教育にかかわった者として一層心が痛みました。

そして、人格の基礎をつくる小学校教育(幼児教育も)が担うものの重要性を改めて痛感しました。

 

教育基本法第1条の「教育の目的」において、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身共に健康な国民の育成を期して行われなければならない」と記してあります。

つまり、学校は教科等の学力をつけながら、その学習活動や学校生活全般を通して、よりよい人格の形成を目指さなければならないのです。

 

 

 私はかねてから、子どもの人格形成や生き方にかかわる教育の課題は、一つには生徒指導上の問題の解決方法(教育方法)にあると考えてきました。

 

 

児童の問題行動があった時、教員を交えた当事者のみでの話し合いでその解決を図ろうとする方法が採られることがよくあります。

しかし、当事者だけでの指導では、教師の説教に陥りがちで根本的な解決には至らないことが多いのです。

(問題によっては、この方法が最適であることも当然ありますが・・・)

 

 

大抵の場合、「友達が誰とどのようなトラブルを起こしたのか」「どこに問題があったのか」「これからどうすればいいのか」・・・等をクラスの全員で話し合うことが大事だと考えています。

友達の失敗を自分の問題として考え、話し合いによって周りの友達の多様な考えに触れることで自らの考えも深まります。

子どもはトラブルを起こした者の気持ちにも起こされた者の気持ちにも寄り添えます。どの子も本来極めて公正です。

当事者だけではなく、全員が加わることによって一方的な見方やわがままは通用しません。

話し合いの末に、「これからは、こんなことに気をつけよう」というクラスの約束が定まります。

約束を破りそうな事態が生じたら注意し合います。

このような日々の小さな話し合いの積み重ねによって、子どもたちは、よりよい価値観に気付き、みんなで決めた約束を一緒に守ろうとします。

友だち同士の連帯感も深まります。

 

学校は、このように友達とかかわり合いながら、小さな一つ一つの問題を生きた教材にして皆で話し合うことによって、一緒に解決する経験を積み重ね、よりよい価値観に向かって実践力を高めて、教育基本法の言う「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質」を備えた人格を形成する所であると考えます。

  

 

いじめは子ども同士の人間関係の問題ですから、周りの友を抜きにした解決はあり得ないと考えています。

一人の問題も全員の問題とするこれらの話し合いが常態化すれば、次に何か困ったことがあれば「クラスのみんなに相談しよう」「先生に話してみよう」という気持ちになり、更によりよいあり方が議論されていくことでしょう。

 

 

「いじめ防止」のために急ぐべきことは、研修によって教師自身の人権感覚や問題解決に向かう洞察力を高め、話し合い活動を大事にした教育方法のあり方を学校全体で議論し、学校としての方法を確立させることだと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鈴木三重吉賞に思う

今年も「鈴木三重吉賞」の入選作が中国新聞に連載されています。

 

先日の「創」で、気に入った一篇づつを

  (印刷して配布する)→(視写する)→(感想を書く)→(感想を話し合う)

といった一連の学習に取り入れたらいいと提案しました。

 

そもそも、入選者の多くが山間部等の田舎に偏っているのはなぜなのだろうかと、かねてより思ってきました。

彼らの環境(自然や人々)による日々の生活の違いを感じていました。もちろん指導者の努力もあるでしょう。

 

そんな中で先日の「天風録」に、選者である詩人、松尾静明氏の「子どもは頭で書いていない。体験という体で書く」という言葉があり、教育の方向性を示唆していると思いました。

 

体験に勝る教材はないと言います。

だからこそ、平成10年度の学習指導要領改訂の際には、体験学習を重視する「総合的な学習」が創設されました。

しかし、地域に偏りはあるものの、それは十分な成果を得るに至っていません。

 

これまでの反省を踏まえて、この度の新学習指導要領が改訂されました。

その「小学校教育の基本と教育課程の役割」の中で、「道徳教育や体験活動、多様な表現や鑑賞の活動等を通して、豊かな心や創造性の涵養を目指した教育の充実に努めること」して、体験活動の推進を示しています。

 

体験が希薄だと嘆く町中の学校程、より能動的・意欲的に教育課程に体験活動を組み入れることが必要だと考えます。

 

 

 

ふるさと

ふるさと庄原市敷信で「子どもの人格形成と造形活動」についてお話する機会をいただきました。

ちょうど寒波襲来の雪の日でした。

幼少期から思春期までの私を育ててくださった人々、そして野も山も皆あたたかく、深い雪もまた懐かしさばかりでした。

 

子どもの人格形成を考える時、その環境である「ふるさと」の果たす役割はとても大きいものだと考えています。

 

家族や友達を大事に思うのと同じように、その地域の人々を含めたふるさとを愛する心を日々の生活や学習の中で育てたいものだと思います。

 

ちなみに、平成30年度広島県造形教育研究大会に向けた研修のお手伝いを少しさせていただいている庄原市立山内小学校では、学校教育目標を「ふるさとを愛し、夢に向かって学び続ける児童の育成」として日々の取組が進められています。地域の人々に見守られ、育てられている姿を垣間見ることがあります。学校と地域の協働意識の中で育つ子どもたちの幸せを感じます。

 

また、「創」のグループ研究の一つ「図画工作部会」のメンバーの実践では、6年生「わたしの大切な風景」の題材で、まず、なぜ選んだ風景が自分にとって大切な場所なのかを文章表現して明確にし、その風景に心を寄せて大事に思う気持ちを高めていました。

ふるさとを愛する心を育てるための、図画工作科による効果的な授業方法の実践でした。

 

 

 

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幼児教育シンポジウムに参加して

先週、友人がディスカッションに登壇した「広島市幼児教育シンポジウム」に参加しました。

 

昨年度より文部科学省の委託を受けて、幼児教育アドバイザーを活用して幼児教育・保育の更なる質の向上を図ろうとする事業のうちの一つでした。

 

そこで、4つの実践発表がありましたが、その中で私は、幼稚園・保育園と小学校の連携のあり方に示唆を得た実践が心に残りました。(友人がかかわっている実践です)

 

私も保幼小連携の重要性については、小学校に勤務している時から認識していましたし、それなりの実践も行ったつもりでいましたが、時間に追われる任務の中でとても十分といえるものではありませんでした。

今回は、その反省の時間でもありました。

 

しかし、近年ますます小学校生活になじめない新入生が増えていて、学校が彼らの対応に追いつかず苦慮している実態を見たり聞いたりすることが一層多くなりました。

今や、どんなに忙しくても取り組まざるを得ない差し迫った課題であると思います。

 

ところが、小学校生活になじみにくい児童がいても、子どもの立場に立って考えてみれば、無理のないことです。

幼稚園保育園時代の遊びや生活の中で(ゆったりとした時間の中で)、様々な体験をすることを通して幼児の資質や能力を育む生活から、 小学校では一変して、時間に区切られた教科指導を通して更なる資質や能力の育成を図ろうとするのですから、遊びから学習への移行を無理なく、楽しく行う方法を考えなければなりません。

 

そのためにはまず、小学校入学前の子どもたちの生活の実態を教師自身が知るところから児童理解が始まり、その上で、授業の組み立てが行われなければならないことを、改めて痛感しました。

そして、多様な保幼小連携のあり方を見つけて実践することだと思いました。

しかしこれらの取組は、決して教員が個別に行えるものではなく、学校体制の中で全体の課題として向き合うべきものであることは言うまでもありません。

 

これら、幼稚園・保育園との連携はまた、中学校との連携の重要さにつながることでもあると思います。

 

私たちは、乳児・幼児・小学生・中学生・高校生・・といった子どもの発達段階の一時期にかかわっているのですから、発達の全体像やその前後の実態を理解する努力が必要です。

 

こうして考えたら、教師の仕事は何と広く深いのでしょうね。

だからこそのやりがいがあるのも教師という仕事だと思いますから、続けて手を結びながら歩を進めていきましょう。

 

 

研究大会の意味

先日、三原市立沼田西幼稚園・小学校の表現・図画工作科の自主公開教育研究会が行われました。

昨年度、広島県造形教育研究大会の会場だった学校です。その大会を機会に表現・図画工作科の研究に取り組まれ、充実した県大会を終えられましたが、本年度も続けて表現・図工の研究を深めたいという先生方の希望で継続されたとのことでした。

 

大きな研究大会は、ややもすればその大会までは全速力で走り、大会が終われば研究も一休みという状況が生まれがちです。

しかし、沼田西幼・小は違いました。

更に幼稚園では、本年度も沼田西幼稚園と沼田東幼稚園の合同保育の公開で、結ぶ手が大きく広がっています。

 

私は「大会は研究の一つのきっかけに!、そして通過点に!」と捉え、大会後もその前日と同じ研究姿勢を貫くのが本来の大会の在るべき姿だと考えています。

その姿勢をしっかりと具現化されている様子を拝見して、とても爽やかな気持ちになり、こんな幼稚園・学校が増えてほしいと願いました。

先生方の日々のご努力は言うまでもなく、それを可能にした校長先生のリーダーシップにも敬意を表しました。

また、昨年度より継続してご指導に当たられたと聞きます比治山大学 若元澄男先生のご助力の賜物でもあると強く感じました。

 

当日の若元先生と沼田西の先生方との間に流れていました一体感は、並々ならないご指導が続いていたことを語っていました。

 

こういう形で若元先生が日頃より提唱されている「3H美術教育」が根づき広がって、美術が子どもたちの人格形成に深くかかわるようになるのだということを改めて学ばせていただいた研究会でした。